トライアスリート屋根屋兼遅咲きなんちゃってトレイルランナー、常滑は屋根誠の瓦葺き師・竹内です。
あまり眠れず、温泉が熱いw
一度目のコース誘導を終え、宿に戻って仮眠となりますが、いまいち眠れません。同班の人たちも同じようで、うとうとしているだけ。とはいえ眠らないわけにはいかないので、とにかく横になっています。宿の都合で風呂に入れるのが14時から朝8時までとなっていて、9時に戻ってきた僕たちは風呂に入れず。みんな14時が過ぎるのを寝ながら待って風呂に入りました。余談になりますが、新赤倉館の温泉は少し白濁し、湯の華も舞う硫黄泉。おそらく43度ほどと熱めで、熱いのが好きな僕には最高でしたが、他の人たちはゆっくり入るというわけにはいかないようでした。
現場合わせ
18時過ぎからミーティングを開始。それぞれの持ち場を地図上で確認し、イメージしていきますが、最終的には現場合わせです。しかも僕の持ち場は145キロ地点で、最後の山頂となる瑪瑙山(めのうさん)山頂。多くの選手がボロボロの状態で到達し、予定通りにはいかないはずです。
19時、移動開始。戸隠スキー場へ。
19時にハイエースに乗り、まずは戸隠スキー場のエイドステーションに向かいます。141キロ地点、戸隠スキー場は選手にとって最後のエネルギー補給地点となります。
僕たちはここからさらに車に乗り、スキー場の荒れた斜面を登っていきます。僕は車でオフロードを走ることにも慣れているけど、他の人は初体験のようで、車内は盛り上がりました。車で行ける最高到達点、標高1480メートルあたりに到着し、そこからは車を降りて足で登ります。
ゆっくりと約30分かけて瑪瑙山山頂に到着。通常の登山であれば気楽なものですが、僕たちの役目はここから。前の時間を担当していた人たちから引き継ぎ、山頂を担当する4名で持ち場を決めて、予定通り21時から誘導を開始しました。
役割は誘導だけど、応援がメインに。
瑪瑙山山頂の標高は1748メートルでコースの最高地点。すでに140キロ以上を走ってきて、最後に最大の壁を乗り越えることになります。まさしくラスボス。しかも僕たちが担当した時間帯は最後の数時間なので、なんとか完走を目指すレベルの選手たちが通過する頃です。登ってくる人たちはすでにふらふらです。コース誘導はもちろんですが、メインは応援になってしまいます。
選手が元気になる声かけ。ボランティアが嬉しい声かけ。
選手たちは立ち込めたガスの中を一歩ずつ、ゆっくりと登ってきます。
選手が70~80メートルに近づいてきたら「ガンバ!ガンバー!」「あと少しで山頂だよー!」と声を張り上げます。僕が誘導していた場所は頂上から少し、コースを戻ったところで、頂上までは距離にして100メートルで、標高差だと10メートル。僕が選手なら、残りの標高差が10メートルだとわかったら嬉しいので、選手たちにも「標高差残り10メートルだよ!」と伝えるようにしました。すると選手たちは「おお!ホントにあとちょっとだ!」とか「やった!元気が出た!」とか言って、笑顔になります。
僕たちは気温一桁の中をダウンやレインジャケットを着こみ、応援し、誘導します。誰かがやらないといけない役目で、僕たちはたまたまそこの担当になっただけですが、選手の中には「寒いのにありがとうございます!」と言ってくれる人もいました。僕も選手のときに、同じように声をかけることがありますが、逆の立場になってみると嬉しいものですね。それを知れただけでもボランティアをやって良かったと思います。
集団で登ってくる人たちも途切れ、最後のほうはポツン、ポツンと孤独と闘いながら登ってくる選手がいます。彼らにとって、僕たちの言葉がどれほどの力になるかはわかりませんが、そんな人にこそ、声をかけたくなります。
長い三日間のボランティア活動が終了。
本来ならスイーパーの通過予定時刻は1時30分くらいでしたが、諸々の事情(思うところがあるので、別のブログで書きます)により、スイーパーが山頂まで来たのは2時半近くになりました。僕たちはその時間から誘導看板を撤去しながら下山。車に到着したのは3時くらいで、結局、宿にたどり着いたのは5時を回っていて、この日も9時間ほど活動しました。部屋に入り、とりあえず着替えて風呂にも入らずに布団の中に。長い長い三日間の誘導ボランティアが終わりました。