トライアスリート屋根屋兼遅咲きなんちゃってトレイルランナー、常滑は屋根誠の瓦葺き師・竹内です。
第1エイドを後にして、次は奥信濃100(山の中を100キロ走る大会、事情により75キロに変更)のシンボル、高社山山頂に向かいます。第2エイドまでの距離は、スタートから第1エイドまでと同じく13キロ程度ですが、奥信濃100のボス・高社山があるので、第1エイドではスタッフが「必ず水分を満タンにしていってください!」と何度も言っていました。そんなに凄いのだろうか…?
高社山の登り始めにはスタッフが立っていて「ここから600m登ります。水分500だと足りませんよ」と言いながら、ペットボトルで水を補給していました。足元には10本以上の2リットルペットボトル。車道から離れたここまで持ってくるだけでも大変です。
ガーミンに表示された標高は700m。ここから一気に1300mまで登るのか。御在所岳と変わらないからイケるはず。もう全身が汗でびっしょり。手の平まで濡れていて、ポールを持つ手が滑るたびにキュキュっと音を出します。走れるような坂ではなくて、早歩きも出来ないので、一歩一歩、ポールを突いてひたすら歩いて登ります。第1エイドまでは悪くないと感じていた坐骨神経痛も少しずつ顔を見せだします。人間というのは不思議なもので、そのときに一番痛いところ以外は、痛みとか苦しみを感じなくなるので、このときは坐骨神経痛ことばかり考えていて、なんなら「坐骨神経痛のおかげで暑いのを忘れてラッキー(笑)」とすら考えていました。
後続のランナーに「もう少しですかね?」と声を掛けられたので、高度計を見ると1180m。
竹内「標高であと120m登りますよ」
後続「知りたくない情報でした(笑)」
竹内「でも、ここまでに480m登ってきましたよ」
後続「そうなんですか!?あと少しですね(ニッコリ)」
ところが、僕はこの時点でかなり疲れていて、ヤバイのを感じていました。たったこれだけ、まだ距離にして21キロ。時間で3時間半ほど。登り続けることはできるけど、体の重さを感じます。
そんなときに山の中でやたらとデカい声が聞こえてきます。この苦しい時間に、これだけの声で騒げるって何者だよ…、と思っていたら、今回の奥信濃100を陰から支えたプロトレイルランナーで、自らも大会を主催する奥宮俊祐さんでした。僕はヘロヘロで、声を出すのもやっとでしたが「写真お願いします」とだけ伝えて一枚。ブロガー魂です。
小さな祠があったので、手を合わせるのを言い訳に、少し休憩して粉飴ジェルと塩、高級アミノ酸・ベスパハイパーを投入します。あと50mも登れば山頂なのに、到達する気がしません。とはいえ、登るしかないので、仕方なく登ります。
スタートから3時間45分でやっと高社山山頂に到着です。
もう、かなりキツい状態です。ヤバい。23キロでこれはヤバいです。なぜかここでもNHKの『グレートレース』の取材を受けて、ふらふらな状態で「もうダメですね(笑)」みたいなことを答えた気がします。
長くなったので続きます。次回はついにDNF(Do Not Finish)までです。