トライアスリート屋根屋、四代目屋根誠・竹内のブログ

旅好きな屋根屋でトライアスリートの竹内賀規が、トライアスロンのことやトレイルランニングのことを書くついでに、屋根のことや瓦のことを書きます。

阪神淡路大震災から26年。東日本大震災から10年。

トライアスリート屋根屋、常滑は屋根誠の竹内です。

 

1995年1月17日

 

僕は栃木県の大学に通う学生でした。

 

その日はテストなので珍しく早起きして、何気なくテレビを点けると、高速道路が倒れていて、いったいどこの国のことなんだろうと思ったことを今でも覚えています。

 

 それから八か月後の9月。僕は修行先の(資)岡戸建材店さんから派遣され、神戸に震災復興で新築住宅の屋根工事に就きました。高速道路が倒れ、至るところで通行止めがあるため、宿泊先から現場までは片道2時間以上を要し、毎朝5時半には出発。作業を終えて帰りつくのは20時頃。先輩たち二人とともに、休みなしの8日間で三軒の工事を完了させました。

ある日、昼食を買うために、現場近くの弁当屋さんに行くと、店長さんから「どっから来たの?」と聞かれ、「名古屋からです」と答えました。出てきた弁当のご飯は大盛りでした。それも食べきれないくらいの超大盛り。店長さんは名古屋から復興のために来た小僧のために、何も言わずご飯を大盛りにしてくれました。

 

僕の手には、あの時の弁当の重さが残っています。その重さは職人という仕事の重さであり、素晴らしさだと思います。あの弁当の重さが職人としての僕の立ち位置を教えてくれました。阪神淡路大震災から26年。東日本大震災から10年。この時期が来るたびに、僕は、あのときの弁当の重さを改めて思い出します。