トライアスリート屋根屋、四代目屋根誠・竹内のブログ

旅好きな屋根屋でトライアスリートの竹内賀規が、トライアスロンのことやトレイルランニングのことを書くついでに、屋根のことや瓦のことを書きます。

阪神淡路大震災の復興として訪れた神戸。超大盛りご飯弁当が僕の職人としての原点。

トライアスリート屋根屋、常滑は屋根誠の瓦葺き師・竹内です。

 

1995年1月の阪神淡路大震災、2011年3月の東日本大震災以外にも、近年は各地で震災が多発していて、そのたびに僕は自分の職人としての原点を思い出します。

1995年1月17日、僕は栃木県の大学に通う4年生でした。その日は1限目からテストだったので早めに目を覚まし、何気なくテレビを点けると、変わり果てた神戸の街並みが映し出されていました。その頃は自分がその街の屋根上に立つことになるとは、思いもしませんでした。

同じ年の9月か10月。僕は修行先の(資)岡戸建材店さんから、災害復興の一部として先輩職人さん2名と共に神戸に派遣されました。倒れた高速道路や、一階だけが潰れたマンション、倒壊した住宅。神戸市内の宿泊先から、同じ神戸市内の現場までの移動には1時間半、あるいは2時間もかかるので、6時に宿舎を出発し、帰りは19時を回るという状況でした。

ある日、お昼ご飯を買うために、現場近くのお弁当屋さんを訪れると、弁当屋のご主人が「どこから来たの?」と聞いてきました。「名古屋からです」と答えて、しばらく待つと、超大盛りご飯の弁当が三つ、出てきました。大盛りなんて頼んでもいないのに。

僕は今でも若く見られますが、当時の僕は若いというよりも幼く見られていて、23歳当時はせいぜい高校生くらいに見られることが多く、弁当屋のご主人は「こんな若い子が神戸のために来て、頑張ってくれてる」と思ってくれたのかもしれません。少なくとも僕は仕事で訪れていたし、どう考えたって神戸の人たちのほうが大変なのに、僕たちに超大盛りご飯という形で、無言の御礼をしてくれました。食べるのが大変だったほどの超大盛りご飯に込められた思いは、27年経った今でも僕の中に残っています。

僕は僕の仕事で社会に貢献できる。あの超大盛りご飯弁当が教えてくれた、僕の職人としての思いの原点です。