トライアスリート屋根屋、四代目屋根誠・竹内のブログ

旅好きな屋根屋でトライアスリートの竹内賀規が、トライアスロンのことやトレイルランニングのことを書くついでに、屋根のことや瓦のことを書きます。

葺きなおしている弘法堂の屋根裏から、当時(約100年前)の記録が出てきました。

トライアスリート屋根屋、常滑は屋根誠の瓦葺き師・竹内です。

 

既存の瓦を使って、一面だけ葺きなおすという仕事を請け負ったお寺さんの屋根裏から、こんなのが出てきました。

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弘法堂を再建したときの記録です。発願者や棟梁が書いてあるのはよくあるんですけど、面白いのは米の相場や大工さんの人工賃が書かれていること。大正というのは、景気の良い時代でしたが、大正7年は米の相場が高騰し、社会の授業でも習った米騒動があった年でもあります。二年後の大正9年は、まだ米の相場が下がっていないことが見て取れます。10年と11年では2円50銭しか差がないところを見ると10年からは落ち着いたのかな。

 

大工さんの人工賃は三年の平均が2円60銭。当時の大工さんの人工賃は、相対的に見ると現在よりも高かったはずですが、仮に1人工2円60銭=2万6000円だとすると、米相場の一石30円=30万円。一石の米の重さはだいたい150kgで、普通に流通している米をスーパーで買うと500円/kgとかなので、現在だと一石の米は7万5000円となり、いかに米が高かったかわかります。今みたいに米作が機械化されていないので当然といえば当然かもしれませんが、当時は米の主食っぷりが今とは比べものにならず、普通の人で一日に三合の米を食べていたと言われているので、エンゲル係数が高かったということでしょう。(補足:当時、人一人が一年で食べる米の量が一石と言われていました。)

 

築100年くらいの弘法堂ですが、瓦を葺いたのはウチの初代とその兄、そして父親だったのかもしれません。