3月11日は東日本大震災の日です。
2011年のその時間、僕は地元、常滑で急勾配の屋根の棟(頂上)にいて、とんでもない強風と寒さに耐えながら仕事していて、不足した材料を取りに帰るために屋根から降り、2トンダンプで事務所に向かいました。いつも通りにラジオを着けたのに、いつもとは違う放送で、緊迫した声のアナウンサーが意味のわからないことを伝えていたことを覚えています。
1995年の初秋、僕は神戸で阪神淡路大震災の復興支援として、新築の屋根工事をしていました。僕は屋根屋としての修行を始めてからわずか数カ月の見習いとして、それでもなんとかできることをやろうと頑張っていました。
お昼ご飯を買うために、歩いて行けるお弁当屋さんに行きました。お弁当屋さんのご主人から「どこから来たの?」と聞かれ「名古屋からです」と答え、しばらく待っていると、ご主人の「遠くからありがとう」という言葉とともに、超大盛りのお弁当が三つ出てきました。僕みたいな役に立たない若造に対して、大変な思いをしているはずの神戸の人がしてくれたことを忘れるはずはありません。
2011年、僕はそのときは立場が違い、職人として現場に赴くことはできませんでしたが、今こそ神戸のお弁当屋さんの思いを繋げるときだと考えて、仙台に職人を派遣しました。
災害なんて無いほうがいいに決まっています。でも、災害は必ずやってきます。僕ら職人はそのときに備えておく必要があるし、職人自体の存在も重要です。