僕が所属する某団体の青年部は、もうすぐ役員改選を迎え、僕はお役目御免となり、新しく部長や副部長が選任されます。僕たちは終わりに向かって進んでいるけど、新しく役員になる人たちは始まりのときを迎えるわけです。
伝わらなければ意味がない。
新部長予定者は現在、来年からどんな青年部にするのかという構想を練り、それを文章にしていて、ときおり文章をもらっては校正や文章構成の観点から目を通していますが、書いていることの意味が伝わらない文章になっていたりします。僕の役目は内容に口出しすることではなく、『伝わる』文章にすること。どんなに良いことを、どんなに熱い思いを込めて、熱を持って書いても、伝わらないと意味がないんですよね。思いをのせた文章を書こうとすると、人はかっこいい表現をしがち。難しい表現と言い換えてもいいかもしれません。でも、それが『伝わる』文章の邪魔をしてしまうことがあるんですよね。文章を読みながら、本人に「これは○○ということ?」と聞くと「そうです」と答える。ということは、僕が聞いた「○○」と書けば『伝わる』ということなんですよね。
『伝わる』ように『伝える』
本人が『伝えた』つもりでも、伝わらなければ意味がありません。誰かに何かを伝えるとき、例えば仕事のこと。僕の場合は屋根のことをお客さんに伝えるときには、『伝える』のではなく、『伝わる』ようにしないといけないなと、改めて感じます。