トライアスリート屋根屋、四代目屋根誠・竹内のブログ

旅好きな屋根屋でトライアスリートの竹内賀規が、トライアスロンのことやトレイルランニングのことを書くついでに、屋根のことや瓦のことを書きます。

6月某日、50歳の誕生日を迎えて思うこと。

トライアスリート屋根屋、常滑は屋根誠の瓦葺き師・竹内です。

 

二十歳の頃にイメージしていた四十歳とか五十歳と比較して、その年齢に達した自分は、果たしてどうなのか…。

 

6月某日、ワタクシ、五十歳になりました。四十歳になったときよりも、五十歳になったときのほうが上がった感がありますね。

四十歳のことを不惑と言いますが、五十歳のことは天命とか知命というらしいです。元は論語に書かれている『四十にして惑わず』と『五十にして天命を知る』という言葉とのこと。

四十を超えても惑うし、五十で天命を知るなんてとんでもない(笑)でも、おれは孔子じゃないからさ。孔子でも四十まで惑っていて、五十でやっと天命を知ったんだから、タケウチヨシキはまだまだで良いんだよね。

 

ただ、二十歳のころに見ていた五十歳の人たち、あるいは想像した自分と比べると、僕はずいぶん若くてかっこいいなと思います(笑) たまに山登りやゴルフをやるくらいで、運動なんてしていないはずだったのが、当時よりもずっと運動するようになり、トライアスロンやらトレイルランニングやらといった、尋常ではないスポーツをやっているなんて、そしてそれをできているなんて想像もしていませんでした。おかげで自分の体について詳しくなり、考えるようになり、健康を維持できるようになりました。むしろ内臓の一部は不健康になりますけどね。

総じて自分がイメージしていた自分よりもかっこよく生きている(見た目じゃなくて生き方ね)ということは、当時の自分に対して堂々と見せることができるなと思います。でも、それも特に「数十年先にかっこよくいよう!」なんて意識してきたわけではなく、仕事を言い訳にせずに「今を楽しく、やってみたいことをやる」という生活をしてきたに過ぎないんですよね。

50歳はさすがに、どうあがいても人生の折り返しは過ぎたと思います。これまでを振り返ってみても、50年なんてあっという間だったから、これからもあっという間に過ぎるはず。ロックの日に生まれたからには、ロックな生き方を。苔の着かない、ますます楽しい人生を送ろうと思います。