トライアスリート屋根屋、四代目屋根誠・竹内のブログ

旅好きな屋根屋でトライアスリートの竹内賀規が、トライアスロンのことやトレイルランニングのことを書くついでに、屋根のことや瓦のことを書きます。

大河ドラマ税理士のクラブハウスを聴いたら、歴史のいろいろが腑に落ちて、大河ドラマを楽しめる件。

トライアスリート屋根屋、常滑は屋根誠の瓦葺き師・竹内です。

 

2022年の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』の、第4回の放送を観てから書いています。

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戦国時代とか幕末はよく題材になりますが、鎌倉時代って珍しいですよね。

源氏といえば頼朝の父、義朝が風呂に入っているときに討たれたのが、うちから少し南に行った美浜町野間にある野間大坊というお寺でした。野間大坊には当時、義朝の首を洗ったという「血の池」があります。

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大河ドラマは義朝が討たれた後から描かれたので、まったく触れられませんでしたが、その後に頼朝は伊豆に流されるわけですから、けっこう重要な場所のはずです。

残念ながら野間大坊は出てきませんでしたが、ドラマ内では頼朝の人たらし具合なんかが描かれていて、僕自身はとても面白く観ることができています。

 

ですが、そもそも歴史が好きなので、知識は豊富なほうで、だからこそ、ずっと疑問に思ってきたこともあります。それがNHK公認(?)の大河ドラマ税理士、山本やすぞうさんのクラブハウスを聴き始めてから解けはじめました。

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山本さんによると、歴史上で語られていることは、けっこう大きく(盛られた状態で)書かれていて、実際の規模には程遠いことが、よくあるらしいです。

合戦の人数って、不思議に思ったことがありませんか?数千対数千、あるいは数万対数万。すごい人数ですよね。移動に時間がかかるし、食料や武器の補給も大変。なんなら、それだけの人数が戦うための場所も必要。ずーっと疑問だったんです。

それが、山本さんによると「実際の戦いは、記録よりもずっと規模が小さかったようで、数千と書かれていても、実際には200とか300とか。言ってみればヤ〇ザの抗争みたいな規模だったみたい」とのこと。もうね、めちゃくちゃ腑に落ちました。平安末期を振り返ると、頼朝が流されていた当時の伊豆長岡というのは、京都から遠く、本当の山奥で、そりゃ数百人の戦える人を集めるなんて、それだけでも一苦労なはず。さらに北条家というのは地方自治体の課長程度だったとのことで、それが数百人を動員するって、簡単なはずはありません。

おそらく大河ドラマでは描かれることなく終わると思いますが、北条時宗が執権のとき、元寇があります。当時の支那を支配していた元が、10万の大軍を船に乗せて攻め込んでくるアレです。考えてみてください。今のような大型船を造る技術もなく、航海術も確立されていなかった時代に、10万の軍勢を送るって、とんでもないことです。100人が乗れる船だって、1000艘が必要になります。それが日本海を渡ってくることが可能か?ってことです。山本さんの言うことに照らし合わせると、おそらくどんなに多くとも1万。実際には2000とか3000だったんじゃないかと僕は思います。で、迎え撃つ幕府側が1000とか?それを大きく書いているとしたら、腑に落ちますよね。だってね、鎌倉時代の日本の人口って757万人だったらしいんです。757万人が日本中に散らばっている中から、戦える武士を10000人集めるってねぇ…。元の10万なんて日本の人口の1.3%ですよ…。

 

第4話では24人の兵で源平合戦が始まって、こんなに規模が小さいの?って感じですが、たぶんリアルな数字なんだと思います。こんな感じで観ていくと、平安末期だけでなく、戦国なんかも、より楽しめるんじゃないかと思います。大河ドラマ税理士山本やすぞうさんのクラブハウスにも注耳です。