トライアスリート屋根屋、四代目屋根誠・竹内のブログ

旅好きな屋根屋でトライアスリートの竹内賀規が、トライアスロンのことやトレイルランニングのことを書くついでに、屋根のことや瓦のことを書きます。

なぜ山車祭を見るのが好きじゃないのか

トライアスリート屋根屋、常滑は屋根誠の竹内です。

 

大谷で祭に携わる人のの多くが「祭を基準に一年が始まる」と言います。僕も昔は同じことを言っていましたが、大人になった今は、そんなおかしなことは思いませんw

 

もちろん祭は好きなんですけど、僕が世の祭好きとちょっと違うのが『対地域の山車祭に興味が無い』ということ。祭好きな人って、けっこう他地域の祭を見に行く人が多いんですけど、僕はむしろ見たくないし、行きたくない。祭は見るもんじゃなくて参加するもんだとか、そんな感覚でもなく、むしろ見るのが嫌なくらい…。

 

そんな僕が27年ぶりに旧常滑地区の祭を見に行って、ついに他地域の山車祭に興味が無い理由がわかりました。

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常滑地区には6台の山車があり、友達や知り合いもたくさんいます。それぞれがぞれぞれの地域で中心人物として活躍しているので、こちらから話しかけることはせずに、気づいてくれた人とだけ話してきました。

 

市役所の駐車場で、各地域の山車が一台ずつ引き別れ。

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この辺りを見ているときに、変にうちの祭に近いから違和感をすごく感じることに気づきました。

 

常滑北部の祭を含む、名古屋型の山車だと車切りの仕方も違うし、犬山の山車だと大きさが違いすぎて比較にならないし、だんじりだとそもそも考え方が違うので、特に嫌な感じなんてしません。ましてや青森のねぶた祭りだと全然違うので、むしろ見てみたいくらい。

ところが常滑と半田等、知多半島の多くの山車祭は知多型の山車を曳きまわし、基本的に大谷の祭に似ているので、それがうちの感覚で見たときに『ちゃんとしてない』と、すごーく嫌な感じがしてイライラしちゃうんです。似て非なるものだからこそ、受け入れられないってことです。

 

祭なんて、地域ごとのやり方やしきたりがあって、違って当たり前。かといって受け入れることもできない。そこまで考えていたわけじゃないんですけど、今回、見にいって、やっとその辺りが自分の中で理解できました。

 

それでも祭というのはまちづくりの基本。まちのため、まちに住む人のためにやるってことは共通しているはずで、その思いはみんなが持っているはずなんですよね。