23年前の1月17日は阪神淡路大震災が発生した日。
僕は栃木県の大学に通う4年生で、その日はたまたま早く起きて、朝7時半くらいにテレビを点けました。
映し出されたのは倒壊した高速道路と死者200人以上という文字。高速道路が倒れるなんて、どこか分からないけど、この国は大変なことになったなぁ。どこの国のことだろう…。とぼんやりと画面を観ていると、どうしても日本だとわかってしまうものも映しだされてくる。おかしい、そんなわけない、日本の高速道路が倒れるわけない。慌てて愛知の実家に電話してみると、まったく繋がりませんでした。しばらく見ていたテレビの情報から判断するに、愛知では大きな被害はなく、高速が倒壊したのは神戸らしいことが分かりました。
僕が神戸に入ったのはその年の9月でした。修行先である名古屋の(資)岡戸建材店さんから派遣され、新築物件の屋根工事を行いました。先輩職人と三人で一週間、フルに仕事して三軒の工事を完了させました。
宿泊した場所から現場までは、距離的には遠くないのに、渋滞がひどく、到着までには2時間を要しました。朝6時に出発して、8時に到着。6時近くまで作業して宿にもどるという一週間。正直なところ早く名古屋に帰りたい一心で働いていました。
とはいえ、僕は4月から修行し始めた小僧なので、大したことはできません。瓦を屋根に揚げるのはめちゃくちゃ頑張りましたが、他にはひたすら先輩たちの手間取りをして、その合間に自分ができることをやっていく程度。あとは弁当を買いにいったりする雑務だったのですが、その弁当を買いにいったときのことです。
お弁当屋さんに入り、弁当を注文すると、お弁当屋さんのご主人が「どこから来た?」と聞いてきました。「名古屋からです」と答えて、しばらく待っていると、ご主人は「ありがとう」という言葉とともに、手に持っただけで超大盛りだとわかる弁当を三つ渡してくれました。
今、考えてみると、あのときの「ありがとう」という言葉は、弁当を買ってくれてありがとうなのか、神戸のために来てくれてありがとう、なのかはわかりません。でも、あのときの僕には「神戸のために…」だと聞こえました。
早く帰りたくて仕事している、使えない小僧にまで「ありがとう」と言ってくれたご主人は僕に、仕事するということは人の役に立つことだ、屋根屋の仕事は人の役に立つんだと教えてくれました。あの一言で僕の神戸での仕事の意味が変わり、その後の仕事の意味も変わりました。
あのときのご主人が教えてくれたことに応えるためにも、僕はやらないといけないと、毎年、思うんです。