トライアスリート屋根屋、四代目屋根誠・竹内のブログ

旅好きな屋根屋でトライアスリートの竹内賀規が、トライアスロンのことやトレイルランニングのことを書くついでに、屋根のことや瓦のことを書きます。

圧倒的な才能の差を見せつけられるのも、悪いことばかりじゃない。

トライアスリート屋根屋、常滑は屋根誠の瓦葺き師・竹内です。

 

僕はあまり勝ち負けにこだわりません。若い頃は負けず嫌いで、些細なことでも負けるのを嫌がり、負けを受け入れられませんでしたが、いつの頃からか悔しさが無くなり、負けを受け入れられるようになりました。

いったいいつ頃からかを思い返してみると、もしかするとトライアスロンを始めてからかなと感じています。だって、どうやっても勝てないバケモノみたいな同世代がいるんですよね。努力は裏切らないとか、やればできるとか、そんな薄っぺらい言葉、クソの役にも立たないほどの才能の差を見せつけられるわけです。どんなに努力しようとも、まったく追いつける気配もありません。なんなら努力できる範囲の差も見せつけられます。あんなにやったら壊れちゃうよ…、という練習量をこなせるかどうか、というのも才能だったりするんですよね。もう、悔しいなんて感じることすらおこがましく感じるほどの才能の差。それでも続けていくには、どこかで自分の気持ちと折り合いをつける必要があるわけです。

 

そんなことを考えていて思い出したのが、故・野村克也さんが楽天イーグルスの監督時代に、取材陣の前で言った言葉「勝ちに不思議な勝ちあり 負けに不思議な負けなし」でした。どんなスポーツでも、たまたまハマって、あるいは相手のミスが重なったりして勝つという、勝った側からすると不思議な勝ちというのは、稀ではあっても有ります。逆に負けたときというのは、なんで負けたのか分からないなんてことはなく、自分たちのミスや取りこぼし等、ちゃんと理由が分析できる。

 

大人になると、いろいろと敗因を冷静に分析できるようになり、悔しさは覚えなくても、次に繋げることはできる。特にトライアスロントレイルランニングはチームスポーツや球技ではなく、シンプルに個の能力、それもとても原始的な能力を競うスポーツであり、どんな結果が出たとしても、それはすべて自分が責任を負うだけなので、敗因もスッと受け入れられるようになったのかもしれません。

 

そしてそれは、仕事や他のプライベートにおいても、とても良い影響を感じています。なんせイラつくことが減りました。イラついたとしても、起こったことは仕方ないし、そんなことに時間を使うよりも対策を立てようと、すぐに切り替えられるようになりました。

圧倒的な才能の差を見せつけられるのも、悪いことばかりじゃないかもしれません。