Facebookで繋がっている人はすでにご存じの通り、高知に行ってきました。
バスで往路8時間、復路7時間半、滞在時間24時間という、なかなかの旅でしたw
今回はうちが所属する法人会の『全国青年の集い』というのに参加するために高知を訪れました。もう少し正確に表現すると、愛知県の青年部会員が集まる愛知ナイトというのの設営係として行きました。僕自身は酒はあまり好きではなく、宴会は可能な限り遠慮するのですが、地方に行ったときに、大きな宴会に参加すると、とても素晴らしい建物に入ることができたりするので、やぶさかではありません。
今回、宴席の場として設定されたのが『得月楼』という、老舗料亭。
建物が大きくて、全体を写すことは不可能ですが、玄関の雰囲気で素晴らしい料亭であることは一目瞭然です。
得月楼は1983年に公開された映画『陽暉楼』の舞台になった料亭です。明治11年に谷干城が陽暉楼から得月楼に改名(?)させたとのことで、幕末には土佐随一の料亭として栄えたらしいです。そんな気配は現代でも漂っています。
二階に上がってみると廊下からは、増築に増築を重ねた建物が連なっています。
こんなところに小瓦を使うか!とか、ここに一文字か!とか、若干興奮気味の僕に、仲間は引き気味w まあ、お構いなしに写真をパカパカ撮りました。
座敷は5間×10間(100畳)くらいある、とてつもなく広さです。
上座の掛け軸は河田小龍。河田小龍はジョン万次郎が帰国した際、事情聴取をして、それを本にまとめ、西洋の事情に精通した当時の文化人の一人で、坂本龍馬をはじめとする、多くの土佐藩士に影響を与えたと言われている絵師です。
写真を撮ったときには「凄い軸だなぁ」くらいにしか思わなかったのですが、河田小龍だったんですね。感動。実は幕末にはまあまま詳しいんですけど、その辺りもいつか。
設営の途中、少し時間が空いたので、僕は次の店で必要な酒を買うために酒屋さんに向かいました。
四合瓶が数本欲しくて行ったのですが、酒屋さんには置いてなくて、二軒目に入った酒屋の親父さんが「そういうのは酒屋じゃなくて、土産物屋やき、はりまや橋のほうに行ったほうがええがよ」と教えてくれました。
御礼を言った店を出ようとして、ふと壁を見るとデュアスロン大会の表彰状が目に留まったので「誰かデュアスロンをやっているんですか?」と聞いたら「わしがやりゆうがよ。トライアスロンもやるぜよ」と。ここからはトライアスロントーク開始w トライアスリートが二人集まれば話は尽きません。
皆生トライアスロンに出場するためには5年後に出場するために、落選しつづけても5年はエントリーし続けろとアドバイスをもらい、フルマラソンのサブスリーを達成するまでの道のりを教えてもらったりして、思わぬところで盛り上がりました。親父さんは膝を壊してしまい、すでに引退したとのことですが、話しぶりからはトライアスロンに対する情熱の熾火が垣間見えました。なんでしょうね、このトライアスリート独特の仲間意識は。
↑親父さんは真顔だけど、喋ってるときは笑顔でw いごっそうっていうのかな。土佐の男って感じでした。なんか僕のトライアスロンに対する情熱も戻ってきました。
高知では武士の好んだ素晴らしい料亭と、いごっそうに出会うことができました。やっぱり旅は出会いです。
明日のブログは旅ランです。朝っぱらからけっこう走りましたw