
トライアスリート屋根屋、常滑は屋根誠の瓦葺き師・竹内です。
先日、奈良県の洞川温泉を訪れました。
洞川温泉は、大峯山系の修験道と深い関わりのある温泉街です。
実際に温泉街を歩いていると、山伏の姿を見かけるし、夜には法螺貝の音まで聞こえてきます。
そんな光景を目にして、ある人物のことを思い出しました。
大峯千日回峰行を満行した、塩沼亮潤大阿闍梨です。
塩沼大阿闍梨のことを初めて知ったのは、もう10年近く前になると思います。
いつ、何がきっかけだったのかは、もう覚えていません。
ただ、その修行の凄まじさには、強烈な印象を受けたことを覚えています。
大峯千日回峰行とは、奈良県の吉野山から山上ヶ岳まで、往復約48kmの山道を歩く修行です。
しかも、ただ歩くのではありません。
道中にある数多くの祠などで足を止め、般若心経を唱え、祈りを捧げながら歩きます。
それを年間約120日、9年間にわたって繰り返し、合計1,000日を歩き通します。
総歩行距離は約48,000km。地球を一周する距離を超えます。
塩沼大阿闍梨は、1999年に大峯千日回峰行1300年の歴史上、二人目の満行した人物です。
さて、僕は以前、トレイルランニングに打ち込んでいました。
だからこそ、この修行がどれほど尋常ではないことなのか、ある程度は想像できます。
実は、トレイルランナーにとって、山道を48km移動するということ自体は、それほど驚くような距離ではありません。
もちろん、コースの難易度や累積標高差にもよりますが、十分にトレーニングを積んだランナーなら、一日で踏破できる距離です。大会の距離としても短距離から中距離に当たります。
しかし、それを毎日繰り返すとなれば、話はまったく違ってきます。
山を走れば、当然ながら筋肉にも関節にも大きな負担がかかります。
翌日には疲労が残りますし、足に痛みが出ることもあります。
だから普通は休養日を設け、身体を回復させながらトレーニングを続けます。
ところが、千日回峰行では、そんなことは言っていられません。
前日の疲労が残っていようが、足が痛かろうが、また山へ向かいます。
しかも、道中では何度も立ち止まり、般若心経を唱えます。
自分のペースで走り続けることができるトレイルランニングとは、まったく違うのです。
塩沼大阿闍梨の場合、一日の行程には約16時間を要したといいます。
そして、翌日もまた同じことを繰り返します。
それが1,000日。
僕には、想像を絶する世界です。
そんな塩沼大阿闍梨について、特に印象に残っていることがあります。
日本を代表するトレイルランナー、鏑木毅さんとの対談です。
鏑木さんも、世界最高峰のトレイルランニングレースで活躍してきた人物です。
その対談の中で、塩沼大阿闍梨は、千日回峰行に挑むことについて、おおむね次のようなことを語っていました。
「たぶん満行できるだろうと思って、深くは考えなかった」
正確な言い回しは覚えていませんが、そんな趣旨でした。
これを読んだとき、僕は衝撃を受けました。
というのも、千日回峰行には、途中で断念することは死をも覚悟するという、非常に厳しい伝統があるからです。
もちろん、現代において途中で断念すれば実際に命を絶たなければならない、という意味ではありません。
それでも、かつてはそれほどの覚悟を求められた修行なのです。
そんな修行を前にして、「たぶんできるだろう」と思い、深く考えなかったというのです。
いやいや、おかしいでしょ。
普通はもっと考えるでしょう。
自分の体力で本当にできるのか。
怪我をしたらどうするのか。
何年もの間、身体が持つのか。
考えれば考えるほど、不安になるのが普通だと思います。
ましてや、山を走ることの厳しさを知っている僕には、その言葉が信じられませんでした。
この人は、いったいどういう精神構造をしているんだろう。
率直に言えば、「とんでもなくヤバい人だな」と思ったのです。
しかし、あれから10年近くが経った今、僕の受け止め方は少し変わってきています。
当時は、自分とは根本的に何かが違う人なのだと思っていました。
でも、今は必ずしもそうではないのかもしれない、と思うようになりました。
もちろん、僕と塩沼大阿闍梨とでは、挑戦していることのスケールも、背負っているものも、まるで違います。
それでも、あの言葉の根底にある考え方については、少し理解できるようになってきた気がするのです。
なぜ、そんなふうに思うようになったのか。
それについては、また次の機会に書いてみたいと思います。
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