トライアスリート屋根屋、四代目屋根誠・竹内のブログ

旅好きな屋根屋でトライアスリートの竹内賀規が、トライアスロンのことやトレイルランニングのことを書くついでに、屋根のことや瓦のことを書きます。

令和3年を振り返る。最大出来事はエクスマ塾でした。

トライアスリート屋根屋、常滑は屋根誠の瓦葺き師・竹内です。

 

昨日のブログでも令和3年を振り返りましたが、今年はどうしても振り返らないといけない出来事がありました。

藤村正宏さんが主宰するエクスペリエンス・マーケティング、通称『エクスマ』の塾についに入塾したことです。

yoshikixxtri.hatenablog.com

僕は一応、経営者という立場にいますが、感覚的には職人です。職人というのは「良い仕事をしていれば仕事は来る」とか「仕事を見てもらえればわかる」とか言いがちで、僕も御多分に漏れず、そんな感覚でいました。それでもなんとなく仕事があったので、間違いじゃないと思っていたら、8年ほど前から会社の業績が劇的に悪化。売り上げ激減で大きな赤字が出ました。うちみたいな零細企業で3年も数百万の赤字が続けば、会社は保ちません。6年前には真剣に廃業を考えていました。

その頃に出会ったのが、僕のブログによく登場する淡路島の道上さん。道上さんは屋根工事どころか、瓦を作っている人なので、瓦の需要減は葺き師異常の大打撃なわけで、それでも瓦だからこそ作ることができる、まちの美しさをブログで発信していました。道上さんの活動に感銘を受けた僕は地元に帰り、すぐにブログを書き始めました。廃業目前だけど、最後にやれることをやって後悔することなく廃業しようという、最後の一手でした。道上さんと同時に出会ったのが、エクスマ塾の卒塾生の神谷英嗣(じょび)と、下澤美香(A子ママ)さん。じょびは瓦メーカーの社長だったので、その前から知っていたけど、A子ママは淡路が初対面。その後、二人がブロブの書き方についてエクスマのノウハウたくさん教えてくれたことにより、屋根誠はまさかのV字回復して現在に至ります。

エクスマに興味を持った僕は、新春エクスマセミナーに参加するために東京に行ったり、藤村さんの本を読んだりして、独自にエクスマを勉強していました。エクスマ塾にも興味があったけど、藤村さんをスコットと呼ぶなど、あだ名で呼び合ったりするとか、なんか変に仲良さげな内輪ノリみたいなのが苦手で、もっと言えば塾に払うお金も無かったのでエクスマ塾には入らずにいましたが、ついに会社の業績が回復し、なんとか受講料を払えそうになってきたところで、コロナ禍による完全リモート開催という追い風が吹き、ついに今夏、エクスマ塾102期に入塾しました。

入塾してみると、やっぱり最初はあだ名で呼び合うのは気が引けたけど、そんなことはすぐに慣れ、楽しいばかりで塾は進んでいきました。僕は経営者向けのセミナーが大嫌いで、それは売上がどうとか、利益がどうとか、戦略がどうとか、中長期的ななんちゃらとか、僕にはどうしても一番大切だと思えないことばかり言っているからだったのですが、エクスマ塾は違いました。藤村さんはいつも「仕事って、自分の得意なことで、自分の好きな人に貢献することだよね」「仕事は儲かるかどうかではなく、楽しいかどうかで選びなよ」「差別化ではなく独自化」「遊ばざるもの働くべからず」等々、経営者塾とは程遠いことだけど、僕には腑に落ちることを言ってくれて、なんていうか仕事をするって楽しくて幸せなことなんだなと感じさせてくれて、エクスマ塾というのは経営者の塾ではあるけど、どちらかというと幸せな生き方を教えてくれる塾でした。

 

7月に入塾し、五回の講座を経て、9月に卒塾。その間も、その後も、ずっと自分の独自の価値について考えています。そして仕事が楽しくなったし、不思議なもので楽しい仕事をもらえるようになりました。ふとした瞬間に藤村さんが言っていたことを思い出し「これがスコットの言ってたことか」と気づいたりもします。

 

令和3年、最大にして最高の出来事はエクスマ塾でした。49歳にしてやっと自分らしい会社の経営を見つけることができたのは、藤村さんを始めとするエクスマ塾講師陣と102期の同期のみんなのおかげです。塾は3か月で卒塾だけど、それまでに5年以上、ブログを書いてきて、だからこそ塾の間に多くのことを学べたのかもしれないし、だとしたら、ブログ2000本は僕にとって、とても価値あるものでした。

 

エクスマ塾は卒塾してからがスタートなので、令和3年が僕のスタートになりました。エクスマ塾のおかげで令和3年は良い一年になりました。皆さん、良いお年をお迎えください。

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