トライアスリート屋根屋、四代目屋根誠・竹内のブログ

旅好きな屋根屋でトライアスリートの竹内賀規が、トライアスロンのことやトレイルランニングのことを書くついでに、屋根のことや瓦のことを書きます。

おれはドラクエの何が好きだったかというと、音楽が好きだったんだ。

トライアスリート屋根屋、常滑は屋根誠の瓦葺き師・竹内です。

 

何歳くらいからだろうか?僕はまったくテレビゲームをしなくなりました。それはたぶん23歳とか24歳とか、セガサターンで3Dポリゴンの格闘ゲームをちょっとやって、その後にプレイステーションを買って、何かをやった記憶はあるけど、それ以降はまったくゲームをやらなくなりました。それはたぶん、ゲームという非リアルよりも、リアルに対して、より魅力を感じ、刺激を求めるようになった頃なんだと思います。

でも、大学生の頃は友達と一緒にスーパーファミコン桃鉄をやって険悪な雰囲気になったり、ファミコンの初代ファミスタで本気の勝負をして、缶コーヒーを賭けたりしていました。

初めてプレイしたロールプレイングゲームといえばハイドライドでした。日本のRPGの先駆けとしてPC-88シリーズ用で発売されたのが1984年なので、僕が12歳のころだったようです。ファミコンドラゴンクエストが発売されたのが1986年。ドラクエを初めてプレイしたのは、もう少し後だったと思いますが、どっぷりとハマり、ドラクエⅢをクリアしたのが高校受験の前日だったのは、今でもしっかりと覚えています。めちゃくちゃ面白かった。

ドラクエの音楽は当時のゲーム音楽としては画期的に素晴らしくて、初めてドラクエをクリアしたときには「こんなすごい曲が流れるなんて!」と感動したものでした。ドラクエシリーズをクリアしてから流れる、その曲を聴くためにプレイしていたと言っても過言でもないかもしれません。ただのゲームを、音楽が壮大な冒険に変えてくれた。僕はドラクエの音楽が大好きでした。東京オリンピックの開会式で使われたのも嬉しかった。

 

すぎやまこういちさんのご冥福をお祈りいたします。

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スクエアエニックスのHPより