トライアスリート屋根屋、四代目屋根誠・竹内のブログ

旅好きな屋根屋でトライアスリートの竹内賀規が、トライアスロンのことやトレイルランニングのことを書くついでに、屋根のことや瓦のことを書きます。

令和2年箱根駅伝で最下位に終わった筑波大学。『令和に蘇る韋駄天』を期待しよう。

トライアスリート屋根屋、常滑は屋根誠の瓦葺き師・竹内です。

 

令和最初の箱根駅伝について、第一回箱根駅伝の優勝校で、26年ぶりに出場を果たした筑波大学の弘山勉監督が、一区間ずつ振り返るレポートを発表しました。

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優勝校の青山学院大学や準優勝の東海大学、あるいは大躍進した3位の國學院大學については、メディアでも多く取り上げられるので、その心情や選手個々の出来や戦略的な成功について知ることができますが、最下位というのはなかなか知ることができません。そういう意味で非常に興味深く読むことができました。

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全体を読んでの感想は『完敗』であることと、しかし、ほぼ初めて経験となった箱根路は今後に飛躍する筑波大学にとって、収穫でしかなかったということ。弘山監督は、当然のことながら、箱根で勝てるなんて大それたことは考えていなかったし、それは選手も同じ。選手たちはプランを二つ用意し、全員が出し切れた場合を11時間08分、全員が最低目標クリアレベルだった場合を11時間16分と設定し、結果は11時間16分13秒だったので、最低目標はクリアできたわけです。にもかかわらず優勝した青学から30分も遅れてしまったというのは、かなりの衝撃だったようです。11時間16分というのは、2016年であればシード権争いができたタイムです。今回、筑波大学はかなりの区間で単独走になってしまいました。前が見えず、単独で走るというのは、ペースが上がりません。前に一人でも見えれば「あの選手だけは」と考えて走れますが、単独というのは難しい。その難しい状況にもかかわらず、11時間16分というのは本来、大健闘といって良いはず。レースの高速化が、筑波の想像の遥か上にあっただけです。この辺りは、ロングディスタンストライアスロンの世界にも通じる部分がありますね。世界の長距離スポーツは、この数年で一気にレベルを上げてきています。

 

箱根駅伝の創設者であり、令和元年の大河ドラマの主人公だった金栗四三さんは筑波大学OBです。選手たちは今回のチームのキーワードを『令和に蘇る韋駄天』としたそうです。箱根駅伝は今年で100年を迎えましたが、第100回大会まではあと四年あります。第100回大会での筑波大学陸上競技部男子駅伝の活躍が楽しみです。