トライアスリート屋根屋、四代目屋根誠・竹内のブログ

旅好きな屋根屋でトライアスリートの竹内賀規が、トライアスロンのことやトレイルランニングのことを書くついでに、屋根のことや瓦のことを書きます。

トライアスロンを始めて最も変化したことは。

トライアスリート屋根屋、常滑は屋根誠の竹内です。

 

トライアスロンを始めて早や8年目になります。始めた当初は変人扱いされ周りにはトライアスロンをやっている人がいなかったので、変な孤独感にさいなまれwたりしていました。もちろん今でも「トライアスロンやってます」と話すと、とんでもないバケモノを見るかのような目で見られますが、そういう扱いにもすっかり慣れてきました。そして、孤独感に関しては劇的な変化がありました。

 

友達が劇的に増えた!

当初は一人で始めたトライアスロン。女房も同時期に始めましたが、練習は基本的には一人でなんとなくやっていて、なんとなく完走を目指す程度のレベルでしたが、それでもスイム3.8キロ、バイク180キロ、ラン42キロのIRONMAN JAPAN北海道も完走することができたことにより、より強くなりたいと思ったときに出会った、ある人に紹介してもらって、岡崎に拠点を置く『トライアスロンスクール SQUAD TAKUYA | 愛知県岡崎市拠点』(たくすく)に入れてもらったところから変化が生れました。

 

元来、人見知りする僕は、大会の会場で誰かに声をかけるなんてことすらできないようなチキンなので、チームに入るなんてとんでもなく嫌なことでした。が、強くなりたいという思いの強さに負けて、仕方なく入れてもらったチームの人たちはみんなが優しくて、僕のことを受け入れてもらえて、トライアスロンを通じてできた初めての友達になってくれました。

 

大人になってから純粋な友達を作るというのは、簡単なことではありませんよね。青年会議所(JC)の仲間は友達というよりは仲間、同志という表現がぴったりだし、仕事関係の人は、どんなに仲が良くても仕事がちらつくし。

 

ところがトライアスロンという、まあキ〇ガイじみた遊びを通じて出会った仲間というのは、純粋に同じ趣味を愛する友達っていう感じがします。

 

最初にたくすくの友達ができて、たくすくの友達が繋げてくれた縁で名古屋のトライファンズの人たちや、関東の超強豪チーム、トライオンの人たちが繋がりました。

そうこうしているうちに、地元では常滑と半田の商工会議所青年部の人たちがトライアスロンを始めていて、いつの間にか知り合って、いつの間にか仲良くなっていました。

 

果たして何人くらいの友達ができたんだろう。

おそらく100人くらいになるんじゃなかろうか。

 

まさか大人になってから、こんなにも多くの友達を得るとこができるなんて、考えたこともありませんでした。

 

損得勘定抜きで付き合える友達を得られたこと。もしかすると、それがトライアスロンを始めて得られた、一番大きなことで、幸せなことかもしれません。

 

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