祭が終わり、次の日には片付けが待っています。僕はだいたいの年で片付けまでやっています。若い人たちは祭当日の疲れでぐったりしていますが、大人な僕は当然ながら、朝も普通に起きて、ちょっと仕事してから顔を出して、そのときに必要な作業をしていきます。
まあ、そんな片付けのことを書いても仕方ないので、御車(山車)の中でも、当日は見えなかったり、そもそも近寄れなかったりする場所を写真に撮ってみました。
うちの東櫻車(とうおうしゃ)には前壇を支える二人の力人(りきじん)が目立ちます。
奥には孔子とか唐子とかがいます。が、全国の出山の中でも、かなり珍しいのが、力人の下にある、赤丸に囲まれた細かい彫り物です。
ちょっと見にくいんですけど『狐の嫁入り』が彫られています。
こんなところに彫り物があるのは、すごく珍しいらしいです。
前壇のここにも宝物が彫られています。派手さは無いけど、建造した当時のこだわりを感じます。
前壇横の柱には素戔嗚尊(すさのおのみこと)と
日本武尊(やまとたけるのみこと)がいます。
前壇の上には鶴が飛びます。
内部を見ると、車輪はこうなっています。ここは普段は床があるので見ることができません。
中山(ちゅうざん)のスペース。1.5m弱×1.2mくらいのところに3人乗って、大太鼓と鼓のようなオウド、竹のバチを使うカンカラという太鼓を叩きます。
さらに上山(じょうざん)の上げ下げ、手綱の上げ下げ、三番叟の子どもの上げ下げ等、仕事は山盛りです。ちなみに一段下で縦に30センチくらい広い場所には4人の笛、2人の小太鼓、大量の塩とワラジ、飲み物等が載せられているのでパンパンです。
中山から前を見るとこんな感じですが、当日は一切、外は見えません。中山の三人は、笛からの指示、外部からの指示が唯一の外界との接点です。
僕は笛で、囃子を取り仕切っていたので、前壇に垂らされた簾の端から、少しずつ前を見ていました。
上山はこんな感じ。
僕は平気で立っていますが、普通の人は立てないらしいです。
東櫻車自体は大正14年の建造なので、比較的新しい山車ですが、祭自体は300年ほど続いているようで、東櫻車の前に使っていた山車も現存していて、他の地域で曳かれています。
毎年、二日しか使いませんが、大切に手入れして、これからも長きにわたって祭を続けていきたいと思います。